汚染された概念の中、僕らは呼吸する

SNSの存在は、一人の足で見て回るにはあまりにも広すぎる世界をスマートフォンの中にまで圧縮した。
もはや地球の裏側はこの世の果てではない。窓を覗けば宵闇でも、別のウィンドウでは日中のサンパウロやリオデジャネイロまで眺めることができる。日の沈まない帝国をあらゆる文明人が享受できるようになったと言ってもいいだろう。
それなのに、なぜ世界はこんなにも変わらず息苦しいのか。
世界は変わらずありのままで存在しているというのに。
変わったのは世界ではなく、人間の方だ。
世界を見つめるこちら側がバイアスをかけられているのだ。
「妻が夫が男が女がFランがニートが弱者男性が……」
SNSを含め、あらゆるバーチャルな社会でまき散らされる怨嗟、敵意、冷笑、虚言がそれを見た誰かの現実を歪めてしまう。そして歪められた知性と見識は新たなバイアスを生み出す、生産性のない再生産を繰り返す。
多くの人が世界の裏側を知りながら、人という種族の限界を見せつけられ、絶望を味わうことになる。
ありとあらゆるものに手垢とハッシュタグがついている世界で、もはや僕たちは先入観なしにものを見ることができないのだ、山籠もりして文明から距離を置きでもしない限りは。
ネット上で生まれた概念が、電子の世界から現実へと漏れ出している事実に現代人は疑問を持った方がいいのではないかと思う。
生きる上で必ず情報に触れなければならないが、その情報の正しさを担保してくれるものはどこにも存在しない、あるとしても虚構を肯定する虚構の相互承認だけだ。
新年早々インフルエンザにかかった!
初詣に行き!
一年の初まりをどうにか有意義にしようと奮闘したが、その甲斐もあってインフルエンザにかかってしまった!
おかげで年が明けてから5日間くらいの記憶がさっぱりない!うーん、40℃出てたし、病院はお休みで自宅で変わり映えのしない天井を見つめ続けていたのが良くなかったのかもしれない。
そんな感じでせっかく体調が治ったので焼肉を食べてきんぐになってくる。
家に帰ったらお絵描きをする。以上、ターンエンド、みよ!これが無職の平日だ!
2025年の新たなる旅立ち
危うくトイレで2025年を迎えるところだったのをギリギリで回避できてよかった。
新たなる年を迎えて初詣に出かけた。

本門寺という結構大きめのお寺があるのでそちらへ。参拝待ちの人は多かったように見えたけれども、さほど待つこともなく2025念を思うことができた。
それにしてもこのエリア、南には川崎大師、北には増上寺と、大きな刹が連なっている。
想像したほど待ち時間を感じなかったのはそのあたりが理由だろうか。
参詣が終わってからはそのまま、甘酒とチョコバナナとじゃがバターを食べてくず餅を買って帰った。最近、新年はあまり幸先が良くないと感じる場面が多いが、今年は明るいスタートを切れたらと願う。
無職が温泉とサウナでロウリュしてきた話
熱!それは人体に危機をもたらす状態!
体内の温度が上昇したとき、人間の体は過敏に反応する。心拍数が上昇し、呼吸の回数が増える。
色々な影響はあるが、上がり過ぎれば死の危険がある…らしい。
しかし、人はあえて熱波に挑戦する!
そう…サウナだ。
「サウナは健康にいい」
その一論を聖典の一文が如く仰ぎ、サウナストーンに平伏してきた。たとえ、体感温度が100度を上回り、フライパンの上のハムエッグの気分を味わったとしても。
思えば今日という一日の中で、僕はどれだけの温度変化を体感したのだろう。
炭酸温泉で微細なガスを浴びることも、サウナで熱気を直に感じ…ロウリュで風とともに熱風をぶつけられるのも言ってしまえば温度変化だ。
体表面の皮膚とその奥の肉が焼かれる痛みを味わう。言ってしまえばこれだけのことなのだろう。だが、今の自分にはそれ以上の喜びを見出す余地があった。
そう、無職だからである。
平日の昼間、有職者が寒波の中で通勤する中!
職のなきものがサウナストーンの熱波で心地よい汗を流している。
これが…これこそが愉悦、である
これからどうしようという不安はあるが、今は忘れよう。明日(12/20)はハロワにいく。
退職を決めた、ある冬の日のこと。
仕事を辞める、それしかないと思った。
決してセンセーショナルな転機があったわけではない。もちろん、直接的な暴言やパワハラを受けたというわけでもない。それでも、自分の中の何かが限界を迎えたことがわかった、だから退職という道を選んだ。この選択は間違っていないと思っている。
それにしても、こうして自由の身になりこれまでの約一年間を振り返ると、ふつふつと湧き上がる思いがある。それは、会社にとって僕の存在は絶対に必要なものではなかったということだ。この仕事は僕でなければ本当にできないのだろうかと、常に考えていた気がする。そう、自分は代替可能な機材でしかないのだと。
そういったものにしかなれないのは、自身の努力が足りなかった。と言われればそれまでだと思う。けれども僕にだって言い分はある。会社が僕に対して期待を抱いていなかったとすれば、僕の方もどこか会社に対して諦めのような気持ちが渦巻いていたからだ。
ひとまず、身の上を話すことにする。
まず、僕はとあるゲーム会社?にてシナリオライターという職を得た。特定されそうなことは言えないが、その会社でおおよそ一年間という人生の時間と労働力を捧げたことは先に記した通りだ。
紹介の中で一つ疑問符がついた。そう、ゲーム会社…すんなり言い切ってしまえばいいはずだが、クエスチョンが付いている。
それは、サービス上で自身が書き上げたシナリオがゲームとして成立しているのか、僕としても、大いに疑念があるためである。
その会社では、そもそもゲームのサービスを今後どのように運用していくかといった方針や、運用上のルールやレギュレーションなど、そういった青写真がふわふわとしていて、明文化されていないことがほとんどだった…お遊びサークルか?
どう考えても必要な指針じゃないか、とは思っていたのだが…そんな状態であらゆる工程が進行しており、当然スケジュールは圧迫されているのがデフォルトに。となれば、フィードバックもチェックも不十分のままユーザーにゲーム内イベントが公開されるということが常態化するのは当然の理である。
数ヶ月、働いてみて気がついた。この会社は異常だと。
この会社で働いて、サービスの運用に携わっていたら、僕はきっと大きな構造の中でユーザーさんへの加害者になってしまう気がした。
杞憂だという人もいるだろう、考えすぎだという人も、だけど我慢できるはずもなかった。この問題は自分自身の生き方への大きな問いになってしまったからだ。
僕はいま、プロフェッショナルとして仕事をできていると言えるのか?
その答えを、ついぞ僕は用意できなかった。もちろん、上から下りてくる要件に従ってシナリオを書き進め、結果的にはサービスとして実装されているのだから間違っていないと胸を張っていいという考え方もあるのかもしれない。けれども、この構造は僕にはどうすることもできないと悟った。
人を絶望させるのは暴力ではない。
虚無へと至る無力感こそが絶望の根源である。
そうして僕は無職となった。やったぜ。
喫茶店(浜松町のあたり)

今日は勤め先のそばのレトロクラシカな喫茶店に来た。
外観に負けじと……内装もまたレトロい感じ。
カレーに合わせて珈琲を注文しようとしたけど、
厨房でおじいちゃんとおばあちゃんがケンカしてた。
そこまでレトロ感出さんでも……。
ちなみにカレーとサラダで750円 喫煙可能

ちなみにカレーを頼むと……
普通は450円くらいのコーヒー/紅茶が200円で飲めるのだ。
残念ながらタイミング見失ったけど……。
……店でコーヒー飲んでた営業マン?×2が、学生時代の体育会系は地獄だぜ自慢してていぬかと思った。
丼丸の二色ユッケ丼
650円でサーモン切り落とし、マグロ切り身、ネギトロ、半玉が味わえた。
たしか、季節限定だったと思うが、意外と満足度が高かった。
でも、丼丸の山盛りわさびって、どう食べても満遍なく盛れない……ペースタイミングを見失う。
ひょっとしてワサビは、全部食べる必要ない??
こんな簡単なことに気づくのに28年もかかってしまった……

