透明日記@99℃

雑にテキトークするブログ、ほぼ蒸発してる

2023/12/23

東京駅の夜景を撮影しに行った。

本当にそれしかしていない。

14時くらいまで眠り、陽が落ちたころにようやく外出し、帰ってきたらそのまま眠る。

休日は行動に制限がないからダラダラと時間を浪費しようと思えば無限に使い潰すことができるからよくない。

ニートは1日の行動がターン制になるというけれど、それは制限がないゆえにアクションの時間を一日という長いスパンで考えてしまうためだと思う。

 

するぞするぞといいながら、薄める……一日を……!

圧倒的希釈……! 鎌首をもたげる良心の呵責…!

 

 

人が多かった東京駅

ゴジラ(1954)を観た。1954年の破壊神 #ゴジラ

ゴジラ

ゴジラ

  • 宝田 明
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ゴジラ(1954)を観た。

 

今更なぜ、と問われるならば……

全てはシン・ゴジラゴジラ-1.0のため、と言わざるを得ない。

 

開幕スタッフロールで流れるゴジラの鳴き声、ゴジラのテーマ…………

僕らは2023年に生きていてゴジラがどんなものか知っているからけれども、

1954年公開当時に、この演出を劇場で観ていたら腰を抜かしてたかもしれない。

 

しかし、ゴジラのテーマのそうだけど、劇伴が素晴らしすぎないか?

全体的に戦争映画とオールドアメリカのイズムが漂っているけれども。

 

迫力のカメラワークと演出を見ていると、撮影技術はもうこの時代には完成されているのでは? と思ってしまう。引き込まれる重力を感じたかも。

白黒で解像度が荒いから、おどろおどろしいっていうのもあるけど、モンスターがテーマの作品は恐怖のテンポと強弱が肝要っぽい。

 

街が破壊されるシーンは、ミニチュアの街(なんていうんだっけ?)で暴れる

ゴジラがチャーミングすぎだった。終盤には愛着が湧いて人類に撃退されるゴジラが少しかわいそうになってくる。

 

あとは、随所に挟まる要素から戦後日本を感じる。

戦争終わって9年だし、そりゃそうか。

 

あとは…………

”これは人を殺さない戦争だが、人の業そのものと向き合う戦いである”

という戦後世界のテーマみたいなものが、約90分の映画の中ですでに表現されているのが素晴らしかった。

これが、今にも通用する価値観であることを考えると、かなり先進的な目線で作られているのでは?

 

…………しかし、人間のせせこましい営みが、巨大な存在に一蹴されるのって痛快だよね。

もしかすると、日常の不安やいらだちを無意識下で破壊神に仮託してしまっているのかも。

そういう意味で”ゴジラ”は誰もの心に住まう恐ろしい怪獣のフラストレーションを解消してくれる健康映画かもしれない。

 

大阪に来た② 街歩きが新たな発見に!西成ディヴィジョンの文化と風景🚶‍♂️ #西成ディヴィジョン #街歩き #文化

大阪に来た! (もう来てる)

テーマパークに来たみたいだぜ、テンション上がるなぁ〜

 

今日(2日目)の目玉は

USJ 👁️‍🗨️

海遊館👁️‍🗨️

天王寺のたこ焼き👁️‍🗨️

スパワールド👁️‍🗨️

目玉が多すぎてダンゾウの右手みたいになってた。全部回れるわけないと思ってた…が、意外と何とかなった。

ワシ、めっちゃタフやし。

 

USJ

朝イチでフライングダイナソーに乗った。

正直これが一番怖かった。

「最後尾は一番キツい」

って出発前にキャストのお兄さんから聞いてたけど、フレーバー的なものだと思ってナメてた。

ほんとにキツかった。

下向きの状態で頭頂に向かって高速発進。

錐揉みしながら、連れて行かれた。

全身の臓器がジュラ紀白亜紀を往復してた。

スマートウォッチの記録を見たら、身体が生命の危機を感じて、心拍数は138まで上昇。

でも、おかげで目が覚めたので、次へGO!

 

バックドロップ

殺人的な加速が後ろ向きにかかるジェットコースター。

怖いというより新感覚だった。

 

ハリウッドトゥライド

バックドロップの前向きバージョン(逆だったかもしれねえ…)

正統派なジェットコースターだけど、なかなか加速が手強かった……

というか上方向へのGでほぼ座席から浮いてた、座ってた時間の方が短い気がする。

それ以外だと、ニンテンドーエリアでルイージハンバーガーを喰らうなどする。

 

あとはハリポタエリアでスリザリンに入寮して早々に闇の魔法使いになって終了。

多分僕は性格的にスリザリンかグリフィンドールしか居場所がないから仕方ないね……。

 

去り際のUSJはめちゃくちゃ夕日が綺麗だった、洋画の配給のあれ。

多分明日は雨。

 

海遊館

建物の構造が面白かった。

長いエスカレーターで最上階まで登り、柱状に作られた水槽の周りをぐるぐると回りながら降りて行くスタイルだ。(逆じゃなくてよかった)

1階層降りるごとに各水槽も深くなるので、海底探索がモチーフなのかもしれない。

 

こちらに背を向けるペンギン

 

スパワールド

ヨーロッパ風呂だった、テルマエのロマエ。

(日替わりでアジアと入れ替わるみたい)

サウナだけで何種類もあったからすごい。

テーマパークに来たみたいだぜ

テンション上がるなぁ〜

 

スパワールドに行く途中に西成っぽいエリアに踏み込んだのだけど……

この看板って現存したのね、見つけたときテンション上がっちゃったよ。

「居酒屋で覚醒剤を売るな」

「日本人は原点に帰れ!」

「義理人情を忘れるな!」

(J)←お、Jか?

これが西成ディヴィジョンのLyric?

 

↑の看板と同じ通りでおっちゃんが気持ち良さそうに寝てたり、遊郭跡の門があったりしたけどそれらがアーケードの中にあるものだから、商店街の可能性を見せてもらった気分だったぜ…

 

シャッターは降りても電飾は死んでも消さない。それがスーパー玉出の流儀

 

 

大阪に来た①

2023/12/14

大阪に来た。

しかし、人生で初の大阪なので全く土地勘はない。

とりあえず新大阪とかいう新幹線駅の外を回ったけどあまり目新しいものが見つからなかったので移動する。

新大阪→梅田

とりあえず梅田駅に来てみた、オフィス街っぽいのであまり大阪感はない。

 

地下鉄で梅田まで移動したが、地下から出られなくなるアクシデントが発生。

地下街広すぎない? どこまでも行けそう

クリスマスが近いからかイルミネーションの光が眩しく街の光に溶け込んでいた

あとは551のブタマンを齧ってハッピーハッピーして終了

新大阪〜梅田では、適度に小腹が満たせて大阪感のある店が見当たらなかったのは残念。

 

 

 

 

 

In Time (2011)を観た

この世界は遺伝子改良により、人間は25歳から老いることがなくなった。病気にも罹らない。

誰もが無限の寿命を手に入れた理想の世界に思えるかもしれない。だが世界はそう単純な摂理ではなかった。

 

この世界では全ての人の左腕に時間が表示されている。

これはなんなのだろう。意味は2つある。

①通貨

コーヒーを買うにもローンを返済するにも使える。一杯あたり:約3分〜4分?

おそらく他に通貨は無さそう。

②寿命

表示された時間がゼロになれば、心臓が停止し死亡する。例外はない。

時間が失われない限り、ほとんど死ぬことがないが、時間がゼロになれば確実に死ぬということだ。

まさしく明示された寿命である。ある意味で公平なルールだろう。

 

時間的富裕層と貧困層

彼らは、事故や事件などの予測できない不幸により、あったはずの時間を失うリスクをひどく恐れている。

だから命を賭けるように無謀なギャンブルはしないし、車は事故で死ぬ可能性があるから乗らずに飾るのがスタンダードだ。

常にボディガードと行動し、襲撃の危険を回避する。

いのちだいじに生きている。

時間は無限にあるので、道を走ることもしない。急ぐ者は時間に追われているものだけだからだ。

 

だがこれは、裏を返せば望まなければ死なないということでもある。

「貧者には死、富者には倦怠」

時間的富者には危険もなく波もない。

それが、いかに退屈な時間か、ある意味想像に難くないだろう。

 

正直なとこ、現代社会も人間の時間を給料に変換してるわけで……いまの世界で富んでいる人間も同じような倦怠を感じている??

 

 

ガタカ(1997)を観た

 遺伝子検査によって能力やかかりうる病気を生まれながらに診断され、人生を決定される世界。そんな世の中では、子どもを作る際には両親の遺伝子の組み合わせから適格な遺伝子を選択し、”健康な子ども”を生みだすのが普通だ。

 それが「子どもの将来」のためである。

 しかし、主人公ヴィンセントは両親の自然交配で生まれた”神の子”だった。

 聞こえはいいが、それは偶然と運命に人生をゆだねられた必然的な苦境の道行きである。必然的に周りの遺伝子操作された人間よりも劣った能力で立ち向かう必要があるからだ。

 そう考えると、”神の子”という呼び名は、彼らのような自然出生者の受難を揶揄した呼び名なのでは?と思ってしまった。

 

 ヴィンセントの目指す宇宙飛行士といえば、言わずと知れたエリートの集まりである。その認識は現実だけでなく作中でも同様のようだ。

 

 また、本作の中心となり、タイトルにもなっている宇宙センター”GATTACA”の名称は、恐らくDNAのアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の組み合わせになっている。

 

 この映画に登場するセリフの中で好きなものがいくつかある。

 GATTACAのエントランスの窓ガラスを掃除している際に、老年の掃除屋から語りかけられた。

「ガラスは磨きすぎるな、目の毒だ」

という諦めの言葉に対し、ヴィンセントは

「僕が向こうに行ったとき見てほしくて」

と答える。

 

 

 何故彼のような欠格者が、遺伝子によって定められた逆流に対抗できたのかという問いかけには

「帰ることを考えずに泳いだからできた」

という返答をしている。彼にとってできる/できないという障壁は、初めから存在しないのだ。できる/できないが明白な世界で、夢だけを抱いて”できないこと”に挑戦し続けたのだろう。

 
 彼は無事にタイタンにたどり着いたのであろうか。

 オープニングとエンディング後に挿入されるスイカの皮みたいなものが弾むカットから見ると……。

メッセージ(2016)を観た

ある日、12基の宇宙船と宇宙人が地球にやってきた。

彼らは敵か味方か。

 

 

言語学者である主人公の仕事は、謎の宇宙人との交信し、彼らが何故地球にやってきたのかを解明することだった。

 

宇宙人にやたらビビる人類やら、お決まりの人類同士の争いやら。

要素だけ聞けば、一つ味付けを間違えれば大駄作になりそうな要素ばかりだが。

今作は切り口が新しく、コミュニケーションに重きを置いている点が特筆すべき点だと思う。

実際に作中では、理解できない相手と向き合う時に”言語”や”文字”というツールをどのように使用するか。その本質はどういったものかといった部分に焦点が当たっていた。

それにより、我々が普段何気なく使用しているコミュニケーションツールが日常でどういった役割を果たしているか、概念の共有の難しさを体験できる。

これは懐かしい感覚だ。

言語感覚がある程度発達し、社会的に意味合いの固定化された語彙群ばかり使用しているとついつい忘れそうになるが、自分以外の脳に自分の想像と同じものをイメージさせるというのは難しいことなのだ。