透明日記@99℃

雑にテキトークするブログ、ほぼ蒸発してる

2024年の新たなる旅立ち。プロになる…そして聖杯戦争で召喚される

プロになる!

なんのプロかって…………?? 

それは、なんでもいい……!

つまるところ……欲しいのは、肩書き…!

 

フォトグラファー、ライター、イラストレーター、デザイナー、ゲームプランナー、サウンドクリエイター、そしてエンジニア……。

なんであれ、プロを目指すことにより開ける道もあるはず……この理不尽な人生逆転ゲームに攻略法はない(はず)。

だから、どれだけ一日の密度を濃くできるか、そして積み重ねられるかが大事になるはず。

 

思えば前職では、自分でなければできない仕事というのが全くなかった。

マニュアル通りに設計書を書き、マニュアル通りに設定を変更し、マニュアル通りに顧客に対応する。

そんなふうだから、僕が辞める時も自分の仕事内容の引き継ぎも全てマニュアル化できた、できてしまった。

もちろん、仕事内容を否定しているわけではない。

僕には向いていなかった、それだけ。

 

だから、2024年の新たなる旅立ちはこれまでとは違うやり方で、違うゴールを目指したいと思う。

 

https://alu.jp/series/ザ・ファブル/crop/TnOhix4V3sFLxd5FI2mR

やっぱり────

プロを目指したい────

かもしれない……

 

 

 

 

 

 

 

日高屋の天津飯

 

日高屋天津飯510円と対決⚔️…お手なみ拝見

 

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残念ながら、想像していた天津飯大阪王将みたいな塩辛めの餡)と味が違った。

餡が甘い……!

そして微妙に感じるこの風味は……ケチャップ?

 

 

オムライスっぽさが微妙に受け付けなかったので、口直しにたい焼きを買って食べた。

一口残してしまった🪦

……多分もう頼まない。

机を組み立てた(未だ成らず)

年始早々にAmazonで届けてもらってから放置を決め込んでいたデスクを組み立てた。

努力はした。

 

でもただのデスクじゃねえぞ、何度でも電気の力で上げ下がるド級の電動昇降デスクだ!

 

 

でも、手じゃネジが締まらない……!

手持ちのドライバーじゃ型が小さすぎてネジ山をペロペロペーネロペー……。

無念、ドライバー、買い直し……!

ド級の電動デスク、寒い部屋に放置……。

 

 

 

Child's Play(1989)を観た

チャッキーさん、晴れてDead by Daylightに登場!!

サバイバーで対峙したけど分からん殺しされたので、こいつだれ??

ということでチャイルドプレイを初めて観てみた。

 

 

 

感想(常にネタバレ)

Child's Play と複数形な訳だから、主題としてはアンディとチャッキーの物語なんですかね。

チャッキーの見た目はわりとデフォルトから不気味ではあったけれど、時間の経過によってどんどん醜悪に育ってきて、終盤には人間だったころの殺人鬼さながらの表情をしてる。

 

あとシナリオについては、子ども(アンディ)とおもちゃ(チャッキー)の関係をメインにしているからこそ、大人から見た子どもの空想の不気味さの空気みたいなのはもう少し表現しても良かったのでは? と、思わなくもない。

(主題が逸れるからやらないというなら、確かにその通りだと思う)

 

 

火だるまチャッカーがファイアーダンスしたり

分離した頭が胴体に向かって「絞め殺せ!」とか言ってるの面白すぎでしょ。

頭が制御してるんじゃないのかよ。

モスラ対ゴジラ(1964)

ゴジラモスラではない、モスラ対ゴジラである。

これはゴジラVS映画の例に漏れず、モスラゴジラのバトル映画である。

 

なんというか……興行至上主義への反発が随所に見られた。ゴジラを楽しみに劇場へ足を運んだ人々の後頭部をハンマークラッシュするような要素だけど大丈夫なのかな?

あと、ジャーナリズムへの期待があまりにも強すぎない?どうしてそこまで筆持つ者の良心を信じられるのか素直に疑問を抱いてしまった。(あくまで理想を描きたかったのかもしれない)

原水爆実験の余波を受けたモスラの故郷(例の如く英語を喋る南国の異民族が登場する)の惨状を見せつけられたり、原住民から現代社会の暗部を指摘されたり、興業者が内輪で殺人を働いたりと見ていて辛くなる要素が多かった。

そんな中で、さらに畳み掛けるように、原住民が神のように崇めるモスラゴジラにぶつけて最後の命を尽きさせようとするのだから、正直なところ現代人って勝手すぎないですか? って思ってしまった。

「人間不信」というワードが随所に散りばめられているところから見るにその辺りの克服がテーマだったんだろう(推論)

 

バケモンにはバケモンぶつけんだよ。の精神でガチンコバトルする事になるモスラさんとゴジラさんだけど。

今作の両名はなかなかに造形が良い。

 

モスラがかわいい。

というか、モスラって何体かおるんやね。

成虫と卵。知らんかった。

 

あと今作のゴジラはほほ肉がプルプルしてて愛嬌が増してる。

これもまたかわいい。

 

 

演出

風や炎、煙などのマテリアル関連の演出がかなりよかった。

モスラの突風部分の演出についても、寄りだけでなく引きの状態でも戦闘の迫力を感じる要素だったと思う。

 

 

素直な感想

モスラが最後の命を燃やし、卵を守りながらゴジラと戦う場面は心を打たれるものがあった。

それでも倒せないゴジラがあまりにも強すぎるという話ではあるけれども……。

あとは、今作ではモスラ側で死と継承のストーリーを描いているので、ゴジラという歩く脅威が完全に敵性を帯びているように思えた。恐ろしすぎ。

 

 

 

 

キングコング対ゴジラ 未知なる世界には夢と希望がある!(もうない) 北極と太平洋の破壊神バトル

キングコング対ゴジラ

コメディバトル?

感想

終始コメディチックなのはなんでだろう。

あとタイトル上キングコングが先になっているのが微妙に気になる。話の本筋にからんでくるのはキングコングで、ゴジラはいつも通り暴れてるだけだから?

 

もうここまでくると、かつて東京湾と大阪湾で大暴れしたゴジラもすっかりキャラクター化して、巨大生物らしいある種の畏怖と恐怖は薄れてしまった。

これからしばらくはジェイソン対フレディみたいな、あいつとこいつはどっちが強い?

みたいなVS映画がしばらく続くらしい。

 

冒頭で「北極の氷が解けて……」みたいな話をしていたけれども、2023年現在まで60年この調子なら特に問題はないんじゃないの? とか思ってしまった。

今作もまた、人類の環境汚染による問題が目に見えた形で人類に襲い掛かってくるという構造かなと思った。というか、基本的に多分そういう構造。

そう考えると、この時代の関心事は地球温暖化問題だったのかもしれない。

 

コメディ要素

未開の原住民が実は英語っぽい言語を話しているところは少し面白かった。

しかし、原住民相手にトランジスタラジオを取り出してコミュニケーションを取ろうとするあたり、この時代の日本人は自国製品への信頼が厚かったんだろうなと思う。

中盤の巨大タコが暴れるシーンが明らかにミズダコ笑

 

怪獣の恐ろしさがメインの作品ではないせいか、ゴジラキングコングのバトルシーンがコミカルに映ってちょっとかわいい。

石をポコポコ投げつけて喜んでるコングとか、尻尾でバシバシ叩くゴジラとか。

 

カラー化されて、炎の色合いにかなりのリアリティが出てきたのはすごく良かったけれども、ゴジラに蹂躙される建物のセットや人の合成については前作・前前作に比べるとジオラマ合成感が出ていた。まだカラーにCG技術が追いついていない? 

それとも予算の問題?

 

しかし、舞台は北極と太平洋に浮かぶ絶海の孤島か。

この時代はまだ、未知なる世界に夢と希望があったんだな……そう考えると少しうらやましい。

 

気になったところ

・ひょっとしてこの作品の100万ボルト作戦がヤシマ作戦の構想に繋がってる?

・あとアメリカではエンパイアステートビルに登ったキングコングだけど、日本だと国会議事堂なのね。

・古い順にみていたから突然カラーになってびっくりした。

ゴジラの逆襲(1955) アンギラスの破壊とゴジラの闘い:戦後日本のモンスターバトル

ゴジラの逆襲(1955)を観た。

前作の空前絶後、その破壊的なまでのヒットを受けて急遽作られた作品らしい。

 

 

今度の舞台は大阪だ! 

ゴジラ……一年も経たずに再上陸! 暴れ狂う!

……早すぎない?

1955年なので、当然映像は白黒である。

時代的はまだ戦後10年。国もゴジラも発展途上。

前作もそうだったけど、やはり戦争映画の流れを汲んでいるように思える。

敵が人間ではない前提条件からして非対称な戦争。

 

 

今作には、2匹目の怪獣ことアンギラスが登場する。

立ち上がるとじめん/ドラゴンっぽい見た目で、ゴジラと組み合いながら大阪の街を(余波で)破壊しまくる。

 

人の存在など端から目に入っていないかのようにノーガードでインファイトを繰り広げるものだから、そのあおりを受けて必死に右往左往する豆粒のような人間達からは何とも儚い命の輝きを感じざるを得ない。

 

そして、アンギラスとの死闘を制し、海へと還ってゆくゴジラ

テレビ(ラジオ?)からは

「ひとたびゴジラの暴れ狂うとき、わたくしたちはまったく無力であります」

との声。

なんとも自嘲的かつ自戒的ではなかろうか。

当時を生きていないので、生の雰囲気は分からないけれども、戦後というのは、人間という生き物の小ささを身に染みて思い知らされた時代だったのだろうか?

 

しかし……前作もそうだけれども、今作も”科学”という人類の叡智の光と闇が作品のテーマだった気がする。

元はといえば兵器の実験から始まった一連の騒動を、最終的には兵器で解決しちゃうんだから、この戦いは構造的に終わることがないと思う。

 

あと、気になったところはいくつもあったけれども、

…………昔の無線ってほんとに「了解了解」なんて言ってたの?